研究のやる気スイッチ

こんばんは。

 

えー、最近少しバタバタしていましたが(当社比)、体感としてひと山越えたというところですかね。まあ、この先にもうひと山どころか山脈がそびえ立っているような気がしますが、それは見なかったこととして。

 

さて、前回はブロックチェーン及びAI関連技術が今後の世界及び日本の金融システムの在り方をいかにして変えていくのかということについてミクロ経済学の視点を交えて論じましたが(え?)、今回は趣向を変えて「もうすぐ研究の世界から引退する一学生の目から見た研究」について、特に「アカデミアに残らない("D"の意思を継がない)学生がどういうモチベーションで日々の研究に取り組んだらよいか」ということについて例のごとくだらだらと書きたいと思います。

 

物事に取り組むうえで、それがもつ意義や価値、目的を考えることは重要です。自分にとって何の意味もない、何のメリットもない(と自分が感じる)ことを続けるのは多くの人間にとって苦痛ですし、往々にして長続きしないと思われます。「ダンベル何キロ持てる?」を見て漫然と筋トレを始めるよりも、「海に行くために体を引き締めたい」とか「女の人にモテたい」といった目標があった方が、モチベーションをもって継続できそうな気がします。いや、僕はまだ続けてますよ?

 

研究ももちろん例外ではありません。教員やDの先輩方は「その研究の社会的意義を考えよ」とか、あるいは「その研究の中での、それぞれの実験・解析の目的を考えよ」などと耳にタコどころかイカができるくらいにおっしゃるかもしれません。でもそれに比べ、「その研究をやる自分にとっての意義・目的(大げさな言い方をすれば、”この経験が自分の今後の人生に何をもたらすのか、どういう役に立つのか”)」についてはあまり語られないように感じます。何のために研究をするの?研究をすると何が嬉しいの?もちろん正解なんてないしこうあるべきというのもないと思いますが、自分なりに考えておくことが良いことのように思いました。お金を払ってまでこれをしなければならない、他ならぬ自分のために。

 

まずは何といっても卒業して学位を取得することでしょう。こんなところで足踏みしてはいられない、何としてでも卒業してやるという強い気持ち。まあ実際、お仕事に比べると大きな責任もないし時間の使い方もゆったりとしたもので、ぬるま湯につかっているようなものなんでしょうが(研究室による)、それでもこの生活をもう一年はゴメンなわけです。

 

その次に私の中でモチベーションにしているのが、研究を通して色々お勉強するということです。日々の「調べる、考える、試行錯誤する、解決する」というプロセスの中で知的好奇心を満たすと同時に、少しずつ知っていること、できることを増やしていけたらいいなという考えです。感覚としては貯金に似ているかもしれない。研究者の世界は実績で測られる競争社会ですが、研究を最終的な結果とそれを得るまでの過程に分けて考えた時に、もうすぐ研究の世界から離れる自分にとって報酬になるのはどちらかというと後者だと思うんですね。(ま、指導教官からしてみれば結果ファーストなんでしょうけど。)もちろん、学生時代の専門をそのまま活かすような形で就職をする人にとっては状況は違うと思いますが、もしそうではない場合、頑張って出した結果そのものが今後の人生においてどれほどの価値を持つのでしょうか?私にはわかりません...

1年間や3年間の中で得られるものが専門知識なのかもっとジェネラルな知識なのか、はたまた資料作成スキルなのかプレゼンスキルなのかはわかりません。ただ、今後自分の身を助けてくれる...かもしれない武器や装備が手に入るんだとしたら、まあ必ずしも無駄ではないのかな。もし役に立たなかったとしても、レベルアップした感は幾ばくかの自己肯定感につながるかもしれないし。

 

雑にまとめると、私は主に「絶対に卒業するぞ」という気持ちと「いろいろ勉強するぞ」という気持ちで毎日学校に行っています。中には、純粋に研究楽しい!研究楽しすぎワロタ!止めらんねえこの想い!!研究ラブ!!!という人もいるのでしょう。うらやましい限りです。そんな人はぜひ研究者の道に進み、沈みゆくこの国の希望となってほしいものですね(他人事)。何やかんや研究者に一番必要なものって専門分野に対する好奇心とか情熱だと思うので。私には欠落しているやつですね。何かに興味を持ち続け、その道を究めるというのは並みの人間には難しいことで、それができるということ自体類まれなる才能なのだと私は思います。ま、これは研究に限った話ではないでしょうが。

 

今回はこの辺で。あ、追記ですがこの記事の大部分を書いてから1か月ほど経過してしまっているので今はもう次の山の中にいます。修論代行業者の方はお気軽にご連絡ください。それでは。